Wall Calendar
ウォールカレンダー:
Calendar
Non-commercial work
2021.12
絶対
少なくとも一日に一回くらい刺激的なことが起こればいいのにと思う。 しかし現実がそうドラマチックなわけもなく、 淡々と仕事をする日々が続く。 昨日のことを 「さっき」 と平気で口にしてしまうくらいに時間の感覚は鈍くなっている。 データを保存するたびにタイトルの末尾に日付を打ち込んではいても、 今日が何日かをそのとき改めて意識することはほとんどない。 毎日のように数字をタイプしているにもかかわらず、 今月が終わりかけているのに気付かないことのほうが多い。 数日後、 月の数字を打ち変えるときになって時間の過ぎていくスピードを痛感することになる。 このときばかりは 「今月からは時間をもっと有効に使ってみせる、 絶対」 と心に固く誓ってはみるものの、 次の月初めにまた同じことを思う、 絶対。
衝動買いはよくないという話
美大を目指してアトリエに通っていたころ、 ガラスが上手く描けない僕に対して講師が、 「映り込みを描き込むか、 ガラス以外の物の質感を強調するといいよ」 と教えてくれた。 10年以上前のそのシーンを思い出したのは、 衝動買いしたポスターを部屋の壁に貼ったせいだ。 僕の家の壁はただの白い壁で、 特別な思い入れがあるわけでもないしインテリアの一部として扱っているわけでもない。 限りなく 「無」 。 だから自分の家の中と言えども、 壁の存在を意識したことはこれまでなかった。 それがポスターを貼った途端、 まざまざと存在を感じるようになったのだから驚いた。 あのとき講師から学んだことは、 要するにスイカに塩をかけたら甘くなるのと同じで、 「物の存在感やそれらしさを引き立てるには周りの物が重要」 ということだったと思う。 たぶん。 だから今回も、 ガラスを描くときの映り込みやスイカを食べるときの塩のように、 衝動買いしたポスターが壁を引き立ててしまったんだろう。 単純にポスターが大きくて部屋が窮屈になった可能性は大いにあるが、 せっかく蘇ってきた思い出に免じてそういうことにしておきたい。 結局ポスターはすぐに剥がしたので、 衝動買いはよくないという話。
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Non-commercial work
2021.12
絶対
少なくとも一日に一回くらい刺激的なことが起こればいいのにと思う。 しかし現実がそうドラマチックなわけもなく、 淡々と仕事をする日々が続く。 昨日のことを 「さっき」 と平気で口にしてしまうくらいに時間の感覚は鈍くなっている。 データを保存するたびにタイトルの末尾に日付を打ち込んではいても、 今日が何日かをそのとき改めて意識することはほとんどない。 毎日のように数字をタイプしているにもかかわらず、 今月が終わりかけているのに気付かないことのほうが多い。 数日後、 月の数字を打ち変えるときになって時間の過ぎていくスピードを痛感することになる。 このときばかりは 「今月からは時間をもっと有効に使ってみせる、 絶対」 と心に固く誓ってはみるものの、 次の月初めにまた同じことを思う、 絶対。
衝動買いはよくないという話
美大を目指してアトリエに通っていたころ、 ガラスが上手く描けない僕に対して講師が、 「映り込みを描き込むか、 ガラス以外の物の質感を強調するといいよ」 と教えてくれた。 10年以上前のそのシーンを思い出したのは、 衝動買いしたポスターを部屋の壁に貼ったせいだ。 僕の家の壁はただの白い壁で、 特別な思い入れがあるわけでもないしインテリアの一部として扱っているわけでもない。 限りなく 「無」 。 だから自分の家の中と言えども、 壁の存在を意識したことはこれまでなかった。 それがポスターを貼った途端、 まざまざと存在を感じるようになったのだから驚いた。 あのとき講師から学んだことは、 要するにスイカに塩をかけたら甘くなるのと同じで、 「物の存在感やそれらしさを引き立てるには周りの物が重要」 ということだったと思う。 たぶん。 だから今回も、 ガラスを描くときの映り込みやスイカを食べるときの塩のように、 衝動買いしたポスターが壁を引き立ててしまったんだろう。 単純にポスターが大きくて部屋が窮屈になった可能性は大いにあるが、 せっかく蘇ってきた思い出に免じてそういうことにしておきたい。 結局ポスターはすぐに剥がしたので、 衝動買いはよくないという話。